京都に「両手がなく口で絵を描き障害者の方々の為につくされている尼僧がおられます。一度訪ねられてみては...」ご近所の方のすすめで京都山科にある仏光院を訪ねたのは中学2年(14歳)の時だった。

「あれも出来ない、これも出来ない、僕は何もできない...」自分がいかに何もできないかを話すと順教先生は、「弟子になりなはれ、ただしそれには条件がある。一人でここまで通いなさい、口で絵を書きなさい、それが守れるなら弟子にする」とおっしゃったという。

いったい先生は、何を聞いていたんだろう。あれだけ何も出来ないといったのに...と思うも、とにかく弟子にしてもらわなくてはと必死で「お願いします」と言った。

大阪・堺から仏光院までは約3時間。電車、バスを5回も乗り換えなければならない。トイレの問題は、食べなければ大丈夫だろう。切符の問題は、だれかに頼まないといけない...どうしたらできるだろうかと一生懸命考えた。

初めて行く時には、本当に不安でいっぱいだった。家を出る時に胸ポケットにお金をいれてもらい、駅に着くたびに、見知らぬ人に勇気を振り絞って声をかける。「切符を買ってください...」。

気持ち悪がって逃げる人、怒鳴る人、優しく切符を買ってくれる人や次の乗り換え場所までついてきてくれる人、いろんな人に出会った。やっとの思いで仏光院にたどり着いた時、道中での出来事を順教先生に必死で話した。

「よくがんばった」と褒めてもらえると思っていた南少年に順教先生は、「よかった、よかった」とニコニコとされていたという。 そして、「世の中にはいろんな人がいる。切符を買ってくれた人も、買ってくれなかった人も自分にとってみんな先生なんだよ」と教えてくれた。

口で絵を描く事は、容易ではなかった。筆を伝って唾液がこぼれべとべとになる。顎や歯や首は痛くなり、視点が近いので気持ち悪くもなる。それでも順教先生は足で書く事を許さなかった。あまりにも辛くなり、「どうして口でかかなければいけないのですか...」とたずねる南少年に 「絵はどこに飾られる?玄関や床の間やみんなに見てもらえる一番いい場所に飾られるんだよ。それを足で書くのですか。口で書けるのなら口で書きなさい」と。 「人の見ていないところに心遣いを」そう教えてくれたのだった。

「禍福一如」先生は、折にふれてその事を教えてくれた。「両腕がないから不幸なんじゃないよ。考え方一つで幸せにも不幸にもなるんだよ」と。


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